たかが鍵一本が大切だと実感した私の経験

世間に人があふれようと、不思議なことに「大事なものの種類」は結構似たようなカテゴリーになるのではないでしょうか?例えば人間関係で言えば「家族」や「恋人」、財産的なところで挙げると「現金」や「不動産」など、非常に大きなカテゴリー分けではありますが、人の「大事なもの」はある程度類似性があると私は感じています。

この類似性の中に、各個人個別の「大切なもの」が入ってくるのだと思うのですが、色々と種類があるそれらの中で、「どんな人物でも成人なら必ずコレはある」というものがあるのです。
それはとても即物的で、かつ自分の日常の居場所にも非常に強い関わりをもっていて、これがないと毎日の生活がおぼつかないと言っても過言ではないでしょう。私が考える、この非常に重要なアイテム、それは「自宅のカギ」です。私はこれを紛失してしまったことで、非常に厳しい経験をしたことがあるのです。

その日は8月のある暑い日で、私は大学の研究室を出るのが遅れてしまい、終電で自宅までどうにか辿り着いたのを覚えています。自宅である賃貸マンションの玄関ドアの前まで帰って来てから、私は自分が鞄の中に入れていたカギをどこかに落としてきていることに気が付いたのです。
大学までの道すがらを辿ろうにも、時間は既に午前を越えていますし、当然真っ暗で小さなカギなど探すことは不可能です。研究で非常に疲れていて、スグにでも家のベットで眠りたかった私ですが、カギが無くては当然それらの欲求を叶えることは出来ません。
結局その日はやむを得ず、近所のファミリーレストランで朝まで時間をつぶしてから、交番に相談し、その後不動産屋に行って事情を説明し、スペアキーを用立てて貰うことにしました。当たり前ですが大学はお休みするしかなく、私は貴重な一日をたかが鍵一本なくしたことで無為なものにしてしまったことがあるのです。
たかが鍵一本が大切だと実感した私の経験でした。
参考:長崎鍵店
参考:http://www.u-shin-showa.co.jp/index.html